拳禅一如(けんぜんいちにょ)
「拳」は肉体(体)を、「禅」は精神(心)を意味します。体と心は別々のものではなく、互いに影響を及ぼす一体のものです。少林寺拳法では、体と心を、どちらかに偏らせることなく、バランスよく修養します。
・体と心を同時に修養する 拳禅一如
あたり前の事ですが体と心は別々のものではありません。どんなに死にたいと思っても、心の中で想うだけでは死ぬ事は出来ませんし、どんなに死にたくないと願っても、病気に体を蝕まれると死ななければなりません。このように体と心は別々に区別して考えられない存在なのです。体と心を片寄る事無く修養させる事で自己を見つめ、自己にある可能性を引き出す「自分を修行する法」それが拳禅一如です。(※副読本引用。1987年6月10日)
力愛不二(りきあいふに)
慈悲心や正義感に溢れていても、力がなければ、誰かの役に立ったり、助けたりすることはできません。また、どれだけ力があっても、誇りや信念がなければ、正しい力の使い方はできません。力と愛、理知と慈悲の調和こそ、少林寺拳法の行動規範です。
・調和の思想 力愛不二
「力の無い愛は無力であり、愛無き力は暴力である」。困っている人を目の前にして、どんなに正論を唱えたところで、それを救済する力が無ければその人は無力であり、どんなに強い腕力や権力を持っていたとしても、その使い方を間違えば、それはただの暴力にすぎません。力と愛が一つとなる「調和の思想」これが力愛不二の考え方です。(※筆者見解)
守主攻従(しゅしゅこうじゅう)
少林寺拳法の技法は、不正な暴力から身を守るためにあります。そのため、まず守り、それから反撃する技法体系となっています。また、確かな守りの体勢を築くことで、相手の弱点を冷静に見極め、有効な反撃ができると考えています。
・まず受けから始まり完全防御のあと反撃に転ずる 守主攻従
少林寺拳法は正義正法を守るため、或いは無法者の暴力から自他の安全を確保するためのみに存在する「破邪の拳」であるべき理由から、「自ら先に人を打つべきではない」という論理に基づく考え方「守主攻従」を用います。「勝たなくても良い。絶対に負けない事」これが大切なのです。これは技だけではなく、少林寺拳法を修める者の平常心を養う心構えという点でも、大きな役割を果たしています。(※副読本引用。1987年6月10日)
不殺活人(ふさつかつじん)
少林寺拳法の技法は、誰かを傷つけるためのものではなく、自分や他人を守り、活かすためのものです。少林寺拳法の技法は、人の可能性を実感させ、成長の喜びを味わうために修練されます。
・拳を正しく活かす道 不殺活人
相手を傷つける事なく強烈な痛みを与え、相手の戦意を喪失状態にするという、最小の力で最大の効果を生み出す事が出来る理想的な技法、少林寺拳法。あくまでも「活人拳」を目標として、人を殺さず傷つけず、自己の身を守り、他人を助けるための「一拳多生」の拳。それを正しく活かす道が不殺活人です。(※副読本引用。1987年6月10日)
【一拳多生】・・・読んで字のごとく「一つの拳で多くを生かす」の意。一つの拳とは自分自身のこと。修行で得た自分の拳(力)や、経験から会得した知恵などを用いて周囲の人を生かすために行動することができる人間の生き方。(※筆者見解)
剛柔一体(ごうじゅういったい)
少林寺拳法の技法には、突き・蹴りなどに対し、受け・かわしから当身で反撃する「剛法」と、手首を握る・衣服をつかむなどに対して、抜き・投げ・固めなどで反撃する「柔法」があります。剛法と柔法は、互いの特徴を活かしあい、巧みに組み合わせることによって、効果を倍増させることができます。
・一体となって生かされる 剛柔一体
剛法と柔法。この二法は別々に分けて使われるのではなく、「剛の中に柔」或いは「柔の中に剛」と言ったように、お互いが一体の状態で用いられます。少林寺拳法ではこの二つの法を効果的に利用します。剛柔が一体となった時こそ、少林寺拳法の技は絶大な効果を生み出す事ができるのです。(※筆者見解)
組手主体(くみてしゅたい)
少林寺拳法の修練は、二人一組で行うことを原則とします。これは、相手の行動に適切かつ柔軟に対処できる実戦的な技法を養うためであると同時に、共に協力して上達し、その喜びを分かち合うためです。
・相手を思いやる気持ち 組手主体
少林寺拳法が組手主体を原則としているのは、武として拳を用いる場合には必ず相手が存在し、そうした格闘の際の攻防の間合い等、動くものに対する種々の条件は単独では会得できないからです。故に少林寺拳法の修行は初心から相手と組み修練を行うのが主体となっています。二人で組んで修練するのですから、自分が上手になるためには相手にも上手になってもらわなければなりません。そうした環境から相手を立て、思いやる気持ちが芽生え、協調性のある人柄が養われてゆきます。(※副読本引用。1987年6月10日)